ニッキン抄
901年(延喜元年)1月25日、菅原道真は大宰府に向けて京の都を旅立った。この左遷は、新しい文字だったひらがなが台頭する転機になったという。大阪市にある藤田美術館の学芸員から教わった▼当時の公文書はすべて漢文。一方、ひらがなは和歌や手紙などに使うプライベート用の文字だった。平安朝始まって以来の天才とされた道真は漢文の知識も随一。かたや左遷時の政敵だった藤原時平は26歳年下で和歌の名手。恋文代わりの和歌を駆使して多くの女性と浮名を流した▼道真が去った後、政治改革に着手した時平は古今和歌集の編さんを命じ、ひらがなが表舞台に登場。この行動には漢字至上主義の守旧派官僚に新しい時代の到来を意識させる狙いがあった▼令和の金融業もグローバル化とデジタル化が同時に進む転換期にある。漢字とひらがなが混じり合って豊かな表現が可能になったように、新旧の知恵を結集する必要がある。2025.1.24
ニッキンのお申し込み
ご購読のお申し込みは、インターネット・FAXで受付けしております。
申込用紙をFAX(03-3262-2838)またはお近くのニッキン支社・局までお送りください。