ニッキン抄 2024.3.15
一枚の切符で、新橋から欧州へ。明治時代、日本海の船旅を挟んで、シベリア鉄道に乗り継ぐ「欧亜国際連絡列車」が開通した。東京―パリ間なら17日で行けた▼第二次大戦中は、欧州発の逆ルートで多くのユダヤ人が亡命した。太平洋経由で米国へ渡航するには、日本の通過ビザが必須。それがなければ迫害の待つ欧州へ強制送還される。外交官の杉原千畝がリトアニアで発給した約2千枚が「命のビザ」と呼ばれたゆえんだ▼ナチスの弾圧から逃れてきた難民を迎える、日本側の玄関口が敦賀だった。JTBの前身、ジャパン・ツーリスト・ビューローが手配した定期船がウラジオストクから入港し、鉄道で横浜や神戸へと向かった▼敦賀には142年前に開業した金ヶ崎駅(のちの敦賀港駅)の廃線跡や、北前船で財を成した大和田家が設立した銀行の旧本店など、往時の息吹が今に残る。歴史的に旅と縁が深いその街に明日、新幹線が開通する。2024.3.15
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