社説 転換30年、原点見つめ直せ
相互銀行が普通銀行へ転換して30年の節目を迎えた。当時68行あった相銀のうち52行が第一陣として1989年2月1日、普銀に転換。その後、合併した1行を除き90年までに全行が転換し、第二地方銀行として出発した。合併や経営破綻により現在40行まで減ったが、地域・利用者から期待される役割が減った訳ではない。むしろ、地方経済の先行きが難しさを増すなかで、期待は大きくなっており、原点を再確認し、取引先・地域のために力を尽くしてもらいたい。
転換の背景にあったのは普通銀行、とりわけ地方銀行との同質化だ。日本経済の拡大が続くなかで、中小企業金融専門金融機関として独自に規制する意義は薄れ、転換へとつながった。
しかし、転換後をみる限り、規制とともに中小企業金融専門機関という原点まで忘れ去られ、存在意義をあいまいにした感は否めない。一部は規模拡大に走り、バブル崩壊後に不良債権の重みに耐え切れなかった。足元では当時と異なる意味で同質化に苦しんでいるように見える。多くの地域で地銀、信用金庫などと中小企業融資で競合し、独自性の発揮は容易ではない。
ただ、ここに来て、南日本銀行や豊和銀行のように取引先の売り上げアップ支援を前面に出し、他行と差別化を図る動きも出てきた。取引先の成長を自行の成長につなげる好循環をつくることが大事だ。
行員数など経営資源に差がある以上、銀行だからという理由で、採算に合わないサービスを横並びで提供し続けるのも疑問だ。富山第一銀行は昨年、窓口での外国送金業務を休止した。自らの体力や費用対効果を見極めた業務見直しは不可欠だ。
相互銀行時代を知る行員は減ってきた。地銀と第二地銀の違いが分かる利用者も少ない。だからこそ、原点を忘れず自らの得意分野や強みを磨き、利用者の期待に応えていかなければ埋没してしまう。期待されるのは人口減少など厳しい地方経済を元気にする第二地銀ならではの活動だろう。転換30年の節目を次の50年、100年へつながる新たな第二地銀像を描く年としてもらいたい。2019.2.1
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